電車が止まった日

10月25日、朝はパズルゲームと放送大学のラジオでごまかせることが分かったので、余裕で出勤した。
仕事も、充当があったが余裕でやった。ただ、うるさい外国人がいて日本語を離さないから合わせてやった。普通の窓口の五倍は大変だった。
帰り、西鉄電車が泊まった。今の俺には電車が敏感事項なのに。早く子どもの顔が見たかったし、子どもが待ってるのに申し訳ない。いつ再開するか分からない、国鉄に乗るにも乗り慣れてない電車に乗りたくないし知ってる人と遭遇して心が乱れるのも嫌だ。困ったあげくスタバに行き、少し時間を潰し、もしかしたら西鉄が動き出すのは遅くなるのではないかと感じたため、西鉄を後にした。心許なさと携帯の電池残量から国鉄の方角をきちんと確認しないで歩き出してしまった。方角も見失い地理もない夜の久留米の街は暗く不安が漂った。合っているか分からない道といつ辿り着くか分からない国鉄までの道で、電車に乗れることはおろか歩いているだけでぜいぜいなり始め、路上で倒れそうになった。久留米の近くに住んでいる友達に数カ月ぶりに連絡し迎えに来てもらい家まで送ってもらおうかと迷惑を掛けようかと考えたが足が動くため思いとどまった。なんとなく元気付けるために童謡の「散歩」を歌い、身体にリズムをつけながら歩いた。程なくして街路にある地図看板に気付き、道を確認して方角が合っていることと国鉄の道のりまで半分来ていることが分かった。それによって2番目に待ち構えた「電車に乗れるだろうか」という不安が先頭に現れ巨大化して心を押さえ始めた。しかし、「家に帰る手段が見え始めた」ことで希望の光が見えてきた。身体は動く。
国鉄の駅が見え、トイレで用を足し、普通電車が10分後に来ることが分かった。遠くの闇から光がやって来て、人達は皆乗り出した。窓が開く車両なのか外側から確認するが確認できない。そうこうしているうちに停止位置に停止したため、乗らないと行けないのだが乗るのが怖いのだ。ここ一月くらい、もう何度目の経験だろう、本当に苦しい、しかしこの電車に乗らないで次に自分が乗れることは電車がいつ来るか分からないし、次に乗れる電車が小一時間かかるのであればどういうわけか心が持たないだろうと考え、無理矢理乗った。電車のドアが閉まり、閉じ込められた、わけでは無いがここ一月の自分にはそう感じるようになってしまった。電車は闇を進み始めたがスピードを上げるに連れて心臓の鼓動が叩き始めるのが分かった。心臓以外の身体の全ては固定されているのに心臓だけがはげしく波打つ。しかし、ここで自分の意識が心臓だけが激しく鼓動し、頭は失神するような状態ではないことが頭で分かり、今回も昨日の朝の電車と同じで頭と身体が分離した動きをしていることに気付いた、気づけた。そうなると時間の経過とともに心臓の鼓動が鎮まるのが分かる。頭の一部だけ静かでいられたのは人が少なかったことと各駅停車だったことと国鉄を使って出勤していた経験があったから大丈夫だろうと信じたからだった。そうして次の駅に着いてドアが開くと外から入る新鮮な空気を吸い込み、吐いて、再び電車のドアが閉まり静寂が戻ると堪え難い不安が襲い、その堪え難い不安に堪える。不安が存在し、不安に打ち克つと布告すると不安の存在を認知してしまったことになり、コントロールできない悪魔が暴れ始める。不安を認知してはいけないのだ。そして不安を認知しないように心づけるということは認知していることになる。だから思考を無にしなければならない。

考えてみれば、それにしてもよく東日本大震災のときに頭がこんな風になってなかったなと思う。あの頃は今ほど考えることもなかったし、今ほどは疲れていなかったからか。どちらにしてもあの頃は不安を感じるなどという機微を持ち合わせていなかったのかも知れない。それにしても息苦しい。息苦しいが数えられる希望の光があの頃より明らかに多い。

発症してしまったため、もう治らないと思っている。手の震えも子供の頃から治らない。どれだけ悩み伏しただろう。多分治るという言葉が合わないのだと思う。季節と同じなのだ。全て。ひどくならないようにただ明るく振る舞い、傍らに据えて歩き、当たり前のように毎日を過ごしていくだけ。

明日も仕事のため確実に悲しみや苦しみと出遭うだろうが、ひとまず今日あった悲しいことや苦しいことは全て忘れようと思う。生理現象は機械操作のように指示は効かないが時間が助けてくれる。忘れるということは時に付き合いづらいものがあるが大切な事だと思う。

博多駅から歩いて帰ったことで妻と子供には帰りが遅くなり迷惑を掛けたが、好きな警固の街を歩けたことと、歩きながら今日あったことをまとめ記すことが出来たので、それを今日の報酬としたい。お釣りが来るほどの報酬である。なぜなら時間が経ち悲しい記憶が薄れてきているから。今後も確実に這いつくばる場面は現れると思うがそのことに関してだけは諦めたくない。