ゴールデンウィーク

ゴールデンウィーク
ゴールデンウィークに、杵築市のキャンプ場に行った。高速道路に乗って日出を通った。杵築城を通り過ぎた後に寄ったスーパーで長男が遠すぎると文句を言っていた。確かに子どものお出掛けには遠過ぎるが大人の気晴らしとしては遠いほうがいい。それから程なくしてキャンプ場に着いたが、畑を耕しているおじいさんが一人いるだけで誰もいなかった。後でそのおじいさんがオーナーだということが分かり、早い者勝ちでおすすめのキャンプサイトに案内してもらった。別府湾が見えるいい場所だった。自然遊びがウリのキャンプ場で、大木にロープを結んだ手作りの大ブランコやツリーハウスがあり、長男も次男も大喜びだった。予報通り雨が降り始め、少し焦りながらテントを立てた。夕方になると雨は止み、無事火を起こし、夜はアヒージョを作ってもらい、食べた。キャンプ場にトイレは1つしかなく、シャワー室が併設されていて、誰かがどちらかを利用するとどちらかがその間利用できないようになっていた。朝はホットサンドをつくってもらい、相当美味しかった。オーナーが散歩がてら僕らのところにやってきたのでお陰さまで楽しくキャンプ出来た旨を伝えると、雨で人がすくなくてよかったでしょう、最初は断りが必要なほど予約が埋まっていたけど雨の予報が出てからみんなキャンセルだったと言われたため、今まで雨のキャンプが多いから、今回も別にいいかと思い来ましたと伝えると、その考え方はいいね、雨だと自然が近いでしょう、それに家族が団結するから、と言っていた。なんとなくオーナーのキャンプ場のコンセプトが分かった気がした。キャンプもグランピングも、どちらも本当に楽しい。このキャンプでは不便も含めのそのままの自然を楽しんでほしかったのだと思った。正直ツリーハウスも少し怖かった。壊れることはないのだろうが壊れないか怖かった。ただ、ここまでなら怪我しないとかこうなると危ないというのは自分で推し測りながら判断していくほうが


次男の誕生日

この前、実家で次男の2歳の誕生日のお祝いをした。長男は5歳だが、5歳にもなると人をお祝い出来るようにもなっており、「りょうちゃんおめでとー」と可愛がっていた。1年前は自分が中心じゃなくて泣いていたのに成長を感じた。

その誕生日会の中でも当然のように兄弟ゲンカはあり、次男は力と言葉で勝てないので、長男に向かっておもちゃを投げた。

当然長男になぜ次男を怒らせたのかと聞くことと、ものを投げるのは良くないと次男を叱ることになったのだが、ばあちゃんは、「いや、りょうちゃんは今ね、当たらんように投げたよ。」と言っていた。一同あ然とし、僕は自分の孫を見つめる母の気持ちの深さに驚いた。
信じている気持ちが深かった。
僕は今まで自宅で二人が兄弟げんかしたとき、長男には何もしたと聞き、次男には投げるなといつもいつも言っていたが、確かに思い出すと一度も長男に物が当たった事はなかった。

信じてもらえている、ということはものすごい力を持つと思うことがある。
僕は、母親がいつも自分を褒めてくれ、信じてくれていたことを覚えている。どうでもいいことでも褒めてくれ、どうでもいい話でも聞いてくれ、嬉しかった。
父親とは大学くらいまではあまり話さなかったが、その時も、母親が「お父さんはあんたが本当に部活を頑張っていて偉いと言いよったよ」とか、「あんたがアルバイトを頑張っていて本当に偉いって言いよるよ」と父親のいないところで褒めてくれ、玄関で靴を履きながらそれが心底嬉しかったし、自信になった。そして父親のことも好きだった。
そのおかげからか分からないが、具体的な根拠の無い自信がある。人の話も全然分からないし、仕事を捌くのも人より遅いし、本当に自分のことが嫌になりつらいことがあるけれども、何かよくわからないが自分は大丈夫という自信で歩いてきた。

母親と父親から受けた深い愛情を僕は子どもに注いで行きたい。子どもには生きている歓びを感じられるよう育てていきたい。人生は楽しいことと苦しいことが半々くらいかと思う。その中に生きる目的を見出し、歓びを感じてほしい。

子どもが生まれるまでは奥さんに自分の愛情のすべてを注いで行くと思っていたのに、子どもが生まれてから相当に変わった。今は子どもを全力で愛し、奥さんとはパートナーのような関係でいる。子どもの手がかからなくなったら、時間と関係性を巻き戻して、結婚して子どもが生まれる前までの続きを過ごして行きたい。その時の信頼関係は結婚したばかりの頃とは比べものにならない強いものだと思う。良い関係でいたい
。そして中々会うことの出来ない友達にも会いたい。

家族でテレビ

下の子は、結構上の子よりやんちゃである。会社から帰る電車の中で、下の子が重曹スプレーをテレビに吹き掛けてテレビが映らなくなった旨の奥さんからのLINEを見た。
帰ると確かにテレビは息をしておらず動かなくなっていた。
奥さんが確か保証に入ってたから修理してもらえるかも知れないと言っていたため、明くる日に購入した電気屋に電話し、子どもがテレビを濡らしたため壊したので保証で直して貰えないかと相談したところ、オペレーターさんは少し明るい調子で、お子様が壊された場合は自然故障となりませんので保証の対象にはなりませんとのこと。こう打たれたらこう打つというような熟練の美しい返しだった。自分は少しはてなになってしまい、なんのための保証なのかと思い、自然故障以外の故障が保証の対象にならないっていつ説明されてたんですか?と聞くと約款に書いてありますと明るい調子で答えていた。自分の思い通りにならなかったことと奥さんにいい返事が出来なくなったことに腹が立ち、分かりましたと言って電話を切った。電話を切った後に確かにわざと壊すやつがいたらキリないなあとも思ったが、果たして子どもが壊す目的を持ってスプレーしたとも言えないが、故意ではなく過失だった場合に保証は認められないのだろうかとも思った。大きな買い物の類は情報と知識の少ない消費者は知らない間に売る側の望む方に進められている。保証は適用されませんが、修理業者を派遣して修理代の見積もりを取ることも出来ますとのことで、ちなみに見積もりに来るだけでおいくらになるのかと聞くと結構なお金だったので、お断りをした。テレビが見れなくなったからと言って藁にもすがりたいように見えたのだろうか。実は自分もその類の人間だが精一杯強がり断った。
かくして、息をしてない55型テレビの前に独身時代に使っていた32型のテレビを置いて見ている。25歳の時に買ったから13年経っているがまだ映る。保証にも入っていない。何なのだろう。

しかし、55型テレビが動かなくなったことで家族の生活が変わった。
無尽蔵に観ていたYou Tubeが見れなくなったのだ。何かしないといけないことがあるときにYou Tubeを見せておくと子どもが大人しいため大変重宝していたのだが、いつからかことあるごとにYou Tubeを見せてほしいと言い出し中毒のような状態になり禁断症状が

高校の友達

「会えたら嬉しい」
という言葉と感情から一番初めに現れる変換候補は、友人との再会だと思った。友達の家の玄関を開けたとき、そう感じた。
高校の友達の集まりに行った。子どももまあまあ大きくなったし、自分の気持ちの中で行けるかなと思ったので行った。
幸せだった。
数えてないのでよく分からないが数年ぶりくらいだと思う。
自分の知っている、すごく幸せで楽しかった物語に出てくる登場人物に久しぶりに会えたような感覚だ。日常で会うことが随分無かったから現実に存在しないかのような感覚になっていたからかも知れない。
みんなと別れたあとも楽しい気持ちが胸の中に残った。
会ってくれた友達と着いてきてくれた子供たちと奥さんに心の底から感謝している。